2006年11月27日

生きること

「しばしば、勇気の試練は死ぬことではなく、生きることだ」
(V・アルフィエリ 18~19世紀のイタリアの劇作家) 「オレスト」より

最近はいじめによる自殺が相次いでいる。
いじめは僕はいじめる側いじめられる側の両方に原因があると思う。
でも相手を死に追いやるほどのいじめとはいかがなものか?
僕は多少のいじめなら笑い飛ばせるほどの人間になったと思う。
その前にいじめとかの経験もそんなにはないのだが・・・。

死ぬのは簡単だ。
死ぬのは逃げだ。
死んだらそこで終わりだ。
生きて人生を全うする方が断然難しい。
生きるには立ち向かう勇気が必要だ。
生きていれば、それ相応の幸せもきっとつかめる。

大学のときの友人が
「人はうまれたときに死のカウントが始まってる。」
と言っていた。その前後の話の云々は忘れたが。
僕はそのときから、
「人は死ぬためにいきるのではなく、生きるために生きるのだ」
と思ってる。

つらい時、苦しいとき、死を考えない人間はいないだろう。
でも、その時ほど生きることを考えて欲しいと思う。

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この記事へのコメント
最近、いじめが問題になってるよねー。
いじめる側にもいじめられる側にも問題があると思うけど
第3者がいじめの原因を作ってるのも問題視されてるよねー。
例えば、先生とか親とかね。
今日、ワイフが子供の名前を『ミリア』にする
と言ったので
親がいじめの原因作ってどうする!?
てな話をしたばっかなのよ。
それはミリア!(無理や)で話は終わったけど(笑
Posted by あっくん at 2006年11月27日 20:47
うううんん
僕の意見はいじめる人が悪い!
訳も無くいじめるのはよくない。
いじめられるやつは、好きでいじめられるわけではない!

いじめてるやつは、いじめられないとわからないと思う。

けど、死ねばおしまい・・・・死んだらいかんわ。
Posted by mictoy at 2006年11月28日 00:18
生きることは痛みに耐える事でもあり、生きることは感動する事。
人の痛みがわからなければ、きっと生きてる意味はわからない。

いつか自分の命のろうそくがフッと消えるとき。
あたしは何を思うのだろう。。
Posted by snow at 2006年11月28日 01:32
to あっくん
 『ミリア』って、またすごい名前だね。
由来とかあるの?
僕は画数なんかも調べて、結構苦労したよ。

to mictoyさん
 いじめる側いじめられる側、どちらに責任があるか、
それは判断が難しい。
個人の肉体的短所とかなら、いじめる側に問題があると思うが、
出る杭は打たれるというように非常識な事ばかりしていると
嫌われていじめられることもある。
ま、どっちにしろ、死んだらダメだよね。

to snowさん
 若いときは買ってでも苦労しとけって言葉があるけど、ほんとだね。
痛みを知っている人間は人の痛みもわかる。
僕も他人の気持ちが分かる人間になろう。
Posted by mars at 2006年11月29日 02:47
 
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